台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 
幼年期の淡い記憶の中未だ鮮明に残るごく僅かな記憶の一つが安倍能成先生の来訪である。戦争の災禍の生々しい昭和二二年のある日、安倍先生が松山出淵町の我が家に祖父を訪ねて来られた。小学校二年生になったばかりであった私は、たまたま学校から早く帰り、自宅にいた。祖母の命ずるままに、玄関の戸を開けて先生をお迎えした。むろん、当時の私には、安倍先生についての知識はまったくなかったが、にこやかに微笑みながら頭をなでてくださったにもかかわらず、これは大変な先生だということを直感した。ところが、部屋に入ってこられた先生に祖父は背を向けて一言も発しない。祖母や母が祖父をたしなめたり、先生にお詫びを言ったりする風景を私は隣の部屋から固唾を呑んで見守っていた。しばらくそんな間の悪い時間が続いていたが、突然先生が静かな声で、「尚義先生、教え子を沢山死なせてしもうた」といわれた。これを聞いた祖父はしばらく身動きひとつせずに沈黙の時間が流れたが、突然直ぐ後ろに座って居られれた安倍先生の方に向き直って「おーう、おーう、おーう」と言うような言葉にならない声を発しながらその両肩に、撫でるようにしながら、手をかけた。先生もこれに応えるように祖父の肩に両手をかけ、抱き合ったような格好で二人の老人はしばらく静かに嗚咽していた。その後のことは私にはほとんど記憶にない。(小川克郎「安倍能成先生と祖父」より)


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