台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 
   
 
日本時代、原住民言語は、実用的な場面では警察官などの必要に応える形で、カタカナ表記が使われました。このカタカナ表記は、原住民の間でもコミュニケーション手段として受容されていきました。戦後、台湾が中華民国に返還された後も原住民居住地域の一部では、カタカナによる原住民言語の表記が教えられていました。それというのも、兵役で故郷を離れる男子が故郷の親や親戚に近況を報告するには手紙を用いるしかなかったこと、また、中国語教育がなかなか浸透しなかったので中国語で手紙を書いても故郷の老親とコミュニケートすることが難しかったこと、そもそも中国語を教育する際に用いられた注音字母では、原住民の言語を表記することは難しかったためです。こうして、カタカナによる原住民言語の表記は一九八〇年代頃まではかなり流通していました。

 
   
  [写真] 成功鎮美山公墓、成功鎮第九示範公墓 、台東市知本公墓、大武郷南興公墓、 卑南郷利嘉公墓、大武郷大鳥公墓にて  角南聡一郎氏撮影

 


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