台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 
ブヌンの陶芸家 Haisul Balalaveiによる ブヌン男性を模した陶製面。
 
王宏恩/BiUNG『獵人 The Hunter』 ブヌンのフォーク・シンガーBiUNGは、作詞作曲を自分で手がけ、ブヌン語の歌詞、伝統的なメロディーを取り込んだ曲も多い。
張惠妹『姉妹』
プユマの人気歌手・張惠妹は、台湾を 越え、広くアジア各地で多くのファンを 魅了している。2000年の総統就任式では 国家を斉唱し、大きな話題になった。

郭英男/Difang『Circle of Life』 1998年、アミの歌の名手 Difangの歌声を 無断で取り込んだ曲が世界的に大ヒットし、訴訟問題となった。Difangはその後78才で初アルバムを出し、音楽活動を続ける。2002年に81才で世を去ったときには、台湾の国民的歌手としてその死が悼まれた。

工芸品として作られたツォウの背負い籠 (ユンク) のミニチュア。
原住民の権利回復運動の成果は、憲法上にその名が「原住民」と明記されるようになったことにとどまらず、1990年代にはさまざまな法律と政治制度の整備へと発展していきました。例えば、原住民固有の名を戸籍上の名として登録できるようになり、国会議員の議席が原住民のために一定数確保されるようになったなどです。

この動きと相前後するように、原住民のなかには、その苦悩や葛藤を小説や詩など文学という形で表現する人々が現れました。

祖先から伝えられた彫刻や陶芸などの工芸技術を継承し復活させて、現代的感覚で新たな息吹を与え、生命力溢れる個性的な作品を創り出す工芸家・芸術家たちも現れました。

原住民が音楽について天性の才能があることは早くから知られてきましたが、近年はフォークソングやロック、ポップスなどのジャンルで活躍し、台湾のみならず国際的に人気のある歌手もいます。彼らは、原住民であることを誇りとしながら、その独得の感性と歌声で広く人々を魅了し、原住民の社会的イメージを次々に塗り替えているといってよいでしょう。

これら原住民作家や歌手たちを突き動かした原動力の1つは、日本による植民地統治開始以来、同化の波を絶え間なく被ってきた彼らの民族としての危機感だったといえます。自分が何者であるかを表現することへの欲求といってもよいでしょう。彼らは台湾社会の中で、近年になってようやく自己表現の場を獲得したのです。

イタリア人神父によって編纂された タイヤル語の初級教材。

タイヤルのTesing Silan (廖英助) が著したタイヤル語によるタイヤル語辞典。

文化や言語の継承の危機は、村で生活する人々にとっても深刻な問題として立ちはだかっています。日本語による教育を受けた老人世代と、中国語の世界で育つ孫の世代とでは、意思疎通も自由ではありません。

そこで、近年は母語教育が重視されています。各地の教会や学校、民間の母語研究家たちによって、母語のローマ字表記が研究され、多くの母語教材が編纂されています。2000年からは週に1時間だけ、学校教育の場で「郷土言語」の時間が設けられ、原住民言語の授業が行われるようになりました。そして、2001年には、政府によって原住民言語能力認定試験も開始されました。

小川と浅井が台湾原住民の言語学研究を始めてから70年あまりが経ち、今ようやく、原住民言語は、彼ら自身の手によって記述され始めたのだといえます。

けれど、生活の場で日常言語として民族語を維持することの困難さは、やはり残されたままです。民族文化や言語の継承において、彼らの抱える課題は、決して小さなものではありません。

珈雅瑪楽団『分享祭』
ツォウとブヌンが混住する阿里山茶山村の村人で構成される珈雅瑪(チャヤマ)楽団のCD。茶山村は、近年観光地として知られ、ツォウとブヌンの伝統的歌舞をアレンジしたパフォーマンスを観光客に披露している。
パイワンやルカイの首長家に伝わる百歩蛇文様の壺のミニチュア。

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