台湾資料

展示パネル  -ラウンジ- 
 
総督府は、昭和一〇年代に入ると「生活改善」を推進することによって、原住民社会の文化を大幅に改変しながら、原住民の「皇民化」、つまり日本への同化を推し進めようとしました。それは、例えば、伝統的な儀礼や習慣を廃止させるといったことから、家屋の衛生を改善するために各家に便所を作らせたり、蚊帳をつらせたり、といった生活の細部にわたるものまで様々でした。衣装についても、内地服、つまり和服を奨励しました。浅井の写真には、こうした衣装の変遷が写し出されています。

作者: Bagan-Narwee (漢名: 張胡愛妹 日本名: 上田次子)作者: Bagan-Narwee (漢名: 張胡愛妹 日本名: 上田次子)
この衣装は、麻で織った男性の伝統的なタイヤル族の衣装の復元です (下の白黒写真左が、浅井が撮影した実際の服装写真)。色も生成りと黒といったシンプルなものでした。麻を植え、糸よりをして糸をつくり、織り上げるのは、女性の仕事でした。彼女たちは、畑仕事へ行く途中の道で歩きながら首から麻を下げて糸をよりました。この衣装は盛装にあたるもので、普段の作業服は、下の白黒写真右のようなものでした。


一九三〇年代のタイヤルの男性服(撮影:浅井恵倫)

この衣装は、木綿製の女性の衣装の復元です。生地が木綿になり、日本的な柄のパッチワークのようなパターンになっています。今回展示した衣装の生地は沖縄産です。浅井の写真にはこのような日本化した衣装を着た女性の写真が数多く含まれています。また、着物を着た女性の写真もあり、生活改善が実行されていたことが、うかがわれます。
作者: Bagan-Narwee (漢名: 張胡愛妹 日本名: 上田次子)作者: Bagan-Narwee (漢名: 張胡愛妹 日本名: 上田次子)
 
一九三〇年代のタイヤルの女性服(撮影:浅井恵倫
今回の展示品の作者は、セデック(タイヤル) 族の Bagan-Narwee (漢名: 張胡愛妹、日本名:上田次子) です。彼女は、お母さんからかつての伝統的な衣装の作り方を学んだそうです。現在、彼女は霧社近郊で工房を開いており、伝統的な技法で織物を作っています。今回の展示品に類似する復元した織物は、台東にある国立台湾史前文化博物館にも納められています。また彼女は、自宅付近の小学校でも織物を教えていて、伝統工芸の次世代への継承にも努力しています。工房には、衣服のほかにも伝統的な柄を使ってアレンジしたバッグ、ポシェット、敷物などが多数展示、販売されています。




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