台湾資料


展示パネル  -資料展示室- 

晩年の浅井恵倫(林衡立氏より提供、上の写真も)

ここで、氏の「ウサギ小屋」のことを話さなければならない。そうすれば、氏の天真爛漫、飾らぬ人柄をクローズアップ出来よう。この「ウサギ小屋」は、南山大学の正門の前の坂を下り切ったところに建っているトタン板を張ってボロボロになった外形を隠した長屋の二階で氏が借りている、二間の部屋のことである。[…] この危険家屋の内部は、表と違って何等補修が行われていない。建っていた時のままの姿であろう。そこには水道がまだ引かれていない。水は昔ながらの井戸から汲んで、桶で下から運び上げる。[…] 教授はこの穴倉みたいな中で、小さな電気コンロで自炊して居られた。ここではまた、週に一回教授のゼミナールが開かれる、私も2度ばかり招かれて、これに参加した。[…] このゼミナールはもとより学校の単位などと関係ない。教授私人のゼミナールである。延々4時間にわたって行われ、中休みには茶やコーヒーが学生達の手で用意され、菓子が出る。茶器、食器具が大量に揃っているのをビックリして見ている私を認めて、教授はここで20人分位のパーティーはいつでも出来るのだ、と嬉しそうに語るのだ。[…]

 浅井教授はどうしてこんなあばら屋に住まなければならいのだろうか?教授が少しも、それを苦にしていないことをよく知ってたが、私は時々こういう問いを自分に投げかけた。私は教授の自宅、それとも本宅というのか、を一度訪れたことがある。湘南の景勝地の海辺の松林の中に、広い庭をめぐらせた瀟洒な別荘風の造りだった。そこに奥さんが住まわれ、週末には教授も戻られて、週末を楽しまれる。沢山の蔵書があり、いかにも勉強するのによい場所であった。しかし奥さんは「学校へ行くのが嬉しいのです。学生が可愛いくて仕様がないのです」と言われた。私にはあの「ウサギ小屋」でのゼミナールでの教授の張り切り方と嬉しそうな様子が急に思い出された。[…]

 大分後になって、浅井教授自らの口から、氏がウサギ小屋に住まわれる理由としても宜しかろうと思われる話を伺った。教授はこう言われた、これこそ自分が台湾の山奥で、フィールドワークをしていた時の風情そのままである。それが自分にこの部屋を棄て難く思わせるのである、と。


*1970年1月14日、15日、台湾の新聞『中央日報』に掲載された 衛恵林「浅井恵倫教授の追憶 (*原題「懐念浅井恵倫教授」)」 の林衡立氏による翻訳(http://satoyoshimasa.ld.infoseek.co.jp/kainen.htm) より抜粋。  


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