台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 




浅井恵倫は、レコードによる録音を行って、原住民の生の言語を残しています。浅井の台湾での調査は、大正十二年 (一九二三)、紅頭嶼 (*現在の蘭嶼) において行ったヤミ語の研究から始まっています。当時は、蝋管から既にレコード盤に録音技術が進歩していましたが、それでも、大きなラッパ状の集音器が必要だったでしょうから、船で渡るしかなかった紅頭嶼に重くて大きな機材を運んで行った調査は、苦労が多かったことと思われます。また、台北に情報提供者を招いて、何ヶ月もかけて録音したこともあったようです。浅井が録音したと思われる言語は、アミ、ブヌン、ルカイ、サイシャット、サアロア、ツォウ、カナカナブ、ヤミ (*以上、当時の「高砂族」)、バサイ、カバラン、シラヤ (*以上、当時の「平埔族」) と、多岐にわたっていました。また、フィリピンのネグリトの言語なども採集するなど、各地で録音を試みています。ものによっては八〇年以上前の録音であるため雑音が多かったり、保存状態があまりよくなったりして、聞き取りにくいレコードもありますが、どれも貴重な資料です。特に平埔族の場合は、今日では、話者がいなくなっている民族もあるので、絶対に再現することは出来ないものです。一九三六年の調査の対象者、ケタガランの「潘氏腰」について、浅井は次のように記しています。

「十月所謂「ケタガラン」蕃なる新社の最後の言語伝承者潘氏腰
(足腰たたぬ 七十五の婆さん)」を台北まで担ぎこみ一個月間調査、知っている限りの単語を絞り取る。」『南方土俗』第4巻第3号

このような彼女についての待遇や表現は、現在の常識から言えば、問題があるでしょうが、それを割り引いても、消滅の危機に瀕した言語を残そうとする浅井の鬼気迫る意気込みを感じることもできるでしょう。


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