台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 


原住民言語の研究は、研究それ自体が目的とされるだけではなく、日本による「理蕃」(原住民統治) にとっても重要でした。当時「蕃地」とよばれた原住民の居住地域においては、警察の駐在所が行政の末端であり、教育機関でもありました。このため、原住民と直接接する日本人警察官は、原住民に日本語を教育するだけではなく、自らも原住民言語(当時の呼称は「蕃語」)を習得することが必要とされたのです。これらの警察官の中には「蕃通」と呼ばれる人々がおり、本務以外に、現地語の採集を行ったり、現地語の講習会の講師をつとめたりするものがいました。現地語の調査にあたっては、各民族に共通する調査採集項目 (語彙や例文) が定められた教本が作られました。この統一教本は、原則として一頁を上下二段に分かち、 上段に日本語、下段にカタカナでその台湾原住民言語の訳を掲げ、 時に原住民言語には日本語の逐語訳も添えて、 日本人が台湾原住民言語を習得するのに資することを目指しました。つまり上段の日本語は印刷された全島共通の語彙や例文を記し、それぞれの現地語を警察官などに下段に書き入れさせて、テキストの原版を作り、これを回収して再度印刷・頒布し、講習資料にしたのです。規格化された教本の最も古いものと推測されるのが丸井圭治郎による「太魯閣蕃語集」(一九一四年 国会図書館蔵)ですが、この印刷用原本と思われるものが、AA研に所蔵されています。浅井によれば、この手の教本は、小川が収集したようですので、これを浅井が引き継いだと考えられます。このほか、原住民言語の習得に資するために、補助教材として雑誌も発行されていました。これらのテキストや雑誌を通して、警察官は原住民言語を勉強しましたが、当局は警察官の習熟度を測るための検定試験も行っていました。警察官にとっては、検定試験に合格し、級を上げていくことが、出世にも役立ったようです。


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