台湾資料

展示パネル  -資料展示室- 
 

ツォウの男性

台湾原住民の言語を文字によって記録したのは、オランダのプロテスタント伝道師によるものが最も初期かつ信頼すべきものと言えます。彼らは、キリスト教関係の文書をローマ字書きした原住民言語 (シラヤ語とファボラン語) で表記しました。シラヤ語やファボラン語は、今日ではすでに死滅していますが、これらの文献のおかげで、後に小川、浅井、また今日では、李壬癸 (台湾中央研究院語言学研究所)、土田滋 (元AA研所員、元東京大学教授)らによって語彙や形態の分析が行われています。日本による領台以後、原住民の言語や文化についての網羅的な研究が始まりましたが、早期に刊行された『蕃族調査報告書』などは、言語学の素養のない調査員が手探りでカタカナによって記録したもので、正確な言語記述がなされたとはいえませんでした。しかし、ここに記録された事柄には、領台後の急激な社会変動の中で消失しつつあった原住民の社会文化が含まれており、貴重な資料といえます。この他、領台当初から、森丑之助、伊能嘉矩などの半官半民的な研究者も活躍しました。彼らの残した記録の一部は、小川に提供され、現在AA研に所蔵されています。本格的な学問的調査が行われるようになったのは、まさに小川や浅井が活躍するようになってからです。以後はIPA(国際音声字母)によって国際的に通用する研究が行われるようになりました。

浅井恵倫とヤミの人々
小川や浅井と同時代の台湾原住民言語学の研究者として、ロシア人ネフスキーを挙げることができます。彼は、一九二七年にツォウ語の調査をし、一九三五年にソ連科学アカデミーから『ツォウ語方言資料』を出版しました。大阪外国語学校の同僚として浅井と親交があり、その紹介で台湾原住民の言語学研究をはじめたといいます。二人が大阪から台湾へともに出発する際に撮影したと思われる船上での写真も残されています (上の写真の右端)。ロシア語で書かれたネフスキーの著作は、半世紀以上後の一九九三年に中国語訳され台湾で出版されました。


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