この映像の撮影年月は1938年6月、撮影地点は、山地のタイヤルまたはセデックの村と考えられます。山岳風景、村のさまざまな様子が映し出されています。画面中には、歩きながら苧麻の繊維を手にする女性の姿や、座って機織りをする女性の様子が登場しますが、タイヤルやセデックの女性にとって、糸を紡ぎ、機を織って一枚の布を完成させることは、女性としての成人の証と見なされていました。それらの仕事が当時は日常的になされていて、生活にとけ込んだものであったことをうかがい知ることができます。機織りの女性が身につける装飾具も現在では非常に貴重なものです。また、この後の画面では浴衣を着た女性や子どもの姿が見え、女性たちの輪舞の様子が収められています。輪になって踊る若い女性たちの衣装には、花模様などがあしらわれた木綿布が使われています。これらの服装からは、日本による統治の影響も垣間見られます。額に大きなイレズミのある女性も登場します。タイヤルやセデックの男女は、成人すると顔面にイレズミを入れる習わしがありました。これは日本統治期に禁じられ、その後の世代には施されなくなっていったものです。さらに映像には、女性用の衣装を着ておどける浅井自身が登場します。快活に笑って煙草を吸う浅井の姿からは、調査地でのくつろいだ一面を見ることもできます。これに続いて、若い男女が家屋内から外へと出てくる様子を映した場面があります。この若い男性たちの着用する衣服は、前合わせで腰をひもで留めた日本風の作りのものです。彼らは直立の姿勢でカメラの前に立ったり、煙草を吸ったりしています。この人たちと、この映像の最後に映し出された路上に座り物言わぬ男性たちとは、服装も姿勢もカメラに向けられた表情も、とても大きく異なっていることが印象的です。日本統治期の台湾原住民の村には、植民地統治に適応して日本語を操り日本人に与えられた服を着こなして仕事の機会などを得た人もいる一方で、日本という統治者と積極的には関わらなかった人びとも大勢いたのであろうことを、この映像資料は物語っています。
|